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真の友好国ってどこかしら?
よく聞く話ではトルコと日本のお話。
 明治時代(1870年!)に遭難したエルトゥールル号の乗員を助けてトルコへ送り届ける
→この話をトルコでは学校で教えてくれているそうです。
 だからイラン・イラク戦争(1985年・・・115年後!?)の時にイランに住んでいて脱出できず困っていた日本人を助ける為に、
トルコ航空は危険を承知で救出してくれた!!

ありがとう!!トルコ!!!

先日ポーランドの大統領機が墜落してしまうという、
悲惨な事故が起きてしまいました。
このような事が二度と起きません様に。

今回の件で知りましたが、
ポーランドも日本の行為に感謝してくれていた国だったようです・・・
なのに現政府は本当に酷いですね!
失礼極まりない!!
それが狙いなんでしょうけれど
以下コピペ


ポーランド合同追悼式に10万人

遠くて近い国ポーランド・・・・
反対に近くてもどこまでも日本を妬み悪意を募らせる忘恩の国韓国、昨夜もNHKは例によって日韓併合を「純粋無垢な正義の朝鮮 VS 悪の国日本・・」という図式で反日一色で描いていましたが、日本に何か不幸が起こるとそれを喜ぶ民族のどこが純粋無垢な人たちなんでしょう・・・

まだの方は、まず以下の動画をご覧ください。



ポーランドは日本の真の友人であります。

真の友人とは、苦しみの中にあるときに共にいてくれる友人であります。

阪神大震災のとき、日本のお陰で近代化を果たした隣国では、「天罰だ!」と喜ぶ声がネットで街で氾濫したと(自身もそう考えていたと)親日派に転向されたキム・ワンソプ氏は言っております。

一方、地球の裏側のポーランドでは、その年から夏休みに日本の被災児を招いて激励をしてくれています。

そのポーランドで明日、大統領の国葬が行われる中、日本政府は代表を送らないことを決定しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用開始

江田参院議長の弔問中止
2010.4.17 00:41

江田五月参院議長は16日、ポーランド政府専用機墜落事故で死去したカチンスキ大統領夫妻の国葬参列のため、17日から予定していたポーランド訪問について、取りやめを決めた。参院事務局によると、アイスランドの火山噴火の影響で、搭乗予定の航空便の欠航が決まった上、現地空港が閉鎖になったことが理由だという。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100417/plc1004170042000-n1.htm

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用終了

一方他国の動向ですが、オバマ米大統領のほか、フランスのニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)大統領、ドイツのアンゲラ・メルケル(Angela Merkel)首相、英国のチャールズ皇太子(Prince Charles)、バチカンのAnglo Sodano枢機卿が参列する予定になっております。

また、エストニアのアンドルス・アンシプ(Andrus Ansip)首相は、1300キロ離れたクラクフまで車で行く準備を進めており、チェコのバツラフ・クラウス(Vaclav Klaus)大統領は、525キロの道程を車と列車を乗り継いで駆けつける予定となっております。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2718845/5622785


鳩山首相は本日は花見に興じ、明日民主党幹部は「真の実力者」小沢氏の親族の葬儀に列席するそうであります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用開始
鳩山由紀夫首相主催「桜を見る会」(新宿御苑)

鳩山首相主催の桜を見る会が17日、東京都の新宿御苑で開かれる。毎年の恒例行事で、各界の招待客が出席。首相のあいさつも行われる。
http://www.jiji.com/jc/calendar?top_no=1

ポーランド大統領国葬と同日、数千人規模で小沢家の法要を計画
http://www.asahi.com/politics/update/0410/TKY201004090587.html

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用終了


「 無 礼 、こ こ に 極 ま る 」


鳩山の総理就任以来、売国政策の連発で、感覚が麻痺してきている自分でも、さすがにこれは恥ずかしい。心ある日本人ならば、この失策を挽回するために何かできることをすべきではないだろうか。

そこで、以下のポーランド大使館へのページに、鳩山の無礼を詫びるメールを送るのも一つの有効な方法と思い、皆様への協力をお願いする次第であります。

駐日ポーランド共和国大使館
http://www.polinfojp.com/kansai/ambpl.htm


日本の先人達が築き上げた日本の信頼を破壊する馬鹿総理の尻拭いではありますが、お一人でも多くの方にご協力いただきたく思います。
m(__)m


ーーーーーーーーーー以下某さんの日記からの転載です。ーーー

「子供を花のように愛する日本」

平成7年(1995年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災。
ポーランドは、その年から夏休みに被災児を招いて激励をしてくれています。

また、ポーランドは、あの大震災の翌日から救援活動を始めてくれましたが、歴史をひもとくと、そこには大正時代の日本人とポーランドの人たちとの深いつながりが見えてきます。

ポーランドは長い伝統をもつ国でありながら、三つの国に分割されて、歴史からその名が消えたことがあります。

1795年です。ポーランド周辺の三つの超大国、ロシア、オーストリア、プロシア(後のドイツ)に三分割されて、地上から消えたのです。

ポーランドには愛国者が多く、何度も独立運動をするのですが、そのたびに摘発されて、遠くの収容所に送られました。ロシアは独立運動にかかわったポーランド人を、次々とシベリアに送り込み、最も多かったときで10万人を超えるポーランド人がいたそうです。

1918年11月、第一次世界大戦が終わり、ドイツが戦争に負けました。ロシアは革命が起きて戦争が継続できなくなっていました。オーストリアは当時、力を弱めていましたから、まさにチャンス到来です。

ポーランドは100年以上を経て、ようやく独立宣言をしました。

最も喜んだのは、シベリアに拘留されていた人たちでした。ところが祖国に帰る手段はシベリア鉄道しかありません。革命後に新しくなったソ連は、これらの人々が、シベリア鉄道を利用することを拒否しました。

ポーランド人は世界に訴えましたが、新しいソ連との関係もあって、いずれの国も、これを助けませんでした。弾圧や飢餓で、シベリア難民が続出します。

そこで、せめて子供達だけでも何とか助けようと、ポーランドの若者が救済委員会を作り、彼らをシベリアから、ウラジオストックに助け出したのです。ところが医療施設も不十分で、そこでも子供達に十分な手立てが取れません。

この救済委員会のリーダーは、アンナ・ビェルケビッチという女性でした。

困り果てた彼女は、上海の中国赤十字社を頼りましたが、断られてウラジオストックに戻ってきました。

その時に彼女は、自分の祖母や両親から伝え聞いた話を思い出したのです。

何とか、船を頼み込んで福井県の敦賀に着き、東京に行って外務省に嘆願しました。

今でも、そのときの彼女の嘆願書が残っています。
その一部をご紹介します。

「われわれは祖国から離れ離れになり、いまだ何の助けも得られません。このまま冬が来ると、子供達の命が奪われることは明らかです。
子供を花のように愛する日本が、彼らの命を戦争の不幸から救ってくださるよう、私は切に願っています」


シベリアに拘留された人たちよりも、もっと遠くに流された人たちは、樺太の収容所にまで送られました。
そこで彼らは、アイヌの人達との交流を深め、これを契機に日本という国を知ります。それらの交流を深めて、日本は子供を大切にする国だという認識が、ポーランド人の間に広がっていったのだと思うのです


(ポーランド人の子供達を救った日本の決断)

さて、そのポーランドの女性から嘆願を受け取った日本ですが、独立宣言をしたばかりのポーランドとの国交はありません。

ですから、断るのが普通でしょう。

仮に受け入れるとしても、決定するまでには長期間を要するはずです。
ところが当時、日本はたった16日でこれを受け入れると閣議決定をしました。

まず、日本赤十字社が現地に向かうことになりました。現地には、ソ連赤軍がいますから、大変に危険な状態だったのですが、たまたま日本軍がシベリア出兵のために待機中だったので、そこにもお願いをしたのです。

そこで、日本の兵士達が「私達がやりましょう」と、どんどんシベリアの原野に入っては、小さな子供達を一人二人と抱えてウラジオストックに戻ってきました。

このようなことを二年間続けました。

そして1920年(大正9年)~1922年(大正11年)の途中まで続けて、東京には、2歳から16歳までの子供375人、大阪には1歳から15歳までの子供390人が運ばれました。

765人の子供達を日本は助けました。が、一人も死なせませんでした。そして、元気になった子供達をポーランドへ順次、送り返していったのです。

横浜港から最初の船が出港しようとするとき、子供達は乗ろうとしなかったそうです。

看護婦さんやお医者さん、世話になった近所のおじさんやおばさんにまとわりついて、離れなかった。もう、自分の父母のようにまとわりついていたのですね。

先に述べた、救済委員会の副リーダーは男性で、医学の心得があったそうです。日本の対応に感謝しましたが、お礼に返すものが何も無く、代わりに大量の感謝の手紙がポーランドから届きました。

その一通をご紹介します。

「日本は、わがポーランドとは全く異なる地球の反対側に存在する国である。にもかかわらず、わが不運なるポーランドの児童に、かくも深く同情を寄せ、心より憐憫の情を表してくれた以上、われわれポーランド人は肝に銘じて、その恩を忘れることは無い。ポーランド国民もまた、高尚な国民であるが故に、われわれは、いつまでも恩を忘れない国民であることを日本人に告げたい。ここにポーランド国民は日本に対し、もっとも深い尊敬、もっとも深い感恩、もっとも温かき友情、愛情を持っていることを、お伝えしたい。」

この中に「ポーランド国民もまた、高尚な国民であるが故に、われわれは、いつまでも恩を忘れない国民であることを日本人に告げたい。」と書いてあります。


それから80年近い歳月を経て、1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起きたときに、ポーランドは復興支援に協力しています。そして、その年の夏に、最も痛手を受けた被災地の子供達を、ポーランドに招いたのです。

大正時代に、日本で助けられたポーランドの子供達、約10人ほどが、おじいちゃん、おばあちゃんになって、今もご健在です。

その方達が、日本の被災孤児たちを招かれたとき、お別れのパーティの際に、ポーランド各地から訪ねてきたそうです。なかには、車椅子で来た方達もいました。そのとき、子供達にバラの花を一輪ずつ渡して、通訳を通して、何故、自分たちが生きているのか、偉大な日本人の功績を語って、子供達を激励したと言います。


平成14年(2002年)7月、天皇皇后両陛下が、東ヨーロッパ諸国を歴訪されたとき、ポーランドも訪問されました。

このとき、このおじいちゃん、おばあちゃんの三人が、どうしてもお会いしたいということで、両陛下との対面が実現しました。このお年寄りも、大正の日本人に助けられた、当時の孤児の方達です。

86歳のアントニナ・リーロさんは、美智子皇后の手をずっと握って離そうとされませんでした。実は、この方が、日本で助けられた時、病院に大正天皇の后、貞明皇后がお見舞いに来られ、小さかった彼女を抱いて励ましてくださったのを、かすかに覚えているらしいのです。そのときの貞明皇后の手の感触、胸のぬくもりを今も忘れられないのです。

ですから、美智子皇后にお会いしたとき、美智子皇后を通じて、貞明皇后の面影を重ね合わせたのでしょう。

その感動と感謝の念に、自分はようやく80余年の年月を超えて、日本の皇室に感謝の言葉を伝え得る喜びに打ち震えながら、美智子皇后の手をずっと握りしめていたのです。



こういった話をなぜ日本は義務教育で教えないのか不思議でなりません。
こういう行いを続けていれば、
勝手に世界は良くなると思います。


追記:今回の一件でどのような影響が起こりそうかわかりやすく書いたブログを見つけたのでご紹介!
    こちらです♪
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Posted by 鯵LOVE
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